大槻香奈実験室その1「16歳少女ポートレートを描く」2014年8月15日(金) - 2014年8月27日(水)

 

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gallery near【開催中の展示】gallery near selection 2014年9月22日(月) - 9月30日(火)gallery near 【 取り扱い作品 】


Press release

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大槻香奈実験室その1
「16歳少女ポートレートを描く」

期間:2014年8月15日(金) - 2014年8月27日(水) *8月21日(木)は休廊
開廊時間:12:00-22:00(最終日は17時まで)
会場:gallery near

2014年8月15日(金)から8月27日(水)までの12日間、gallery nearにて、大槻香奈実験室その1「16歳少女ポートレートを描く」を開催いたします。
2007年より作家活動をスタートさせた大槻香奈は、少女をモチーフとした表現を主題に、時代性だけでなく人間の持つ真理や死生観に向き合い作品展開を行っており、アクリル画を中心にドローイングやコラージュ作品など表現は多岐にわたります。国内外問わず様々な展覧会・アートフェアに参加し、日本国内だけでなく海外からも注目を集める人気若手作家の一人であります。国内では年に約一度のペースで個展を開催しており、2014年1月には、約100 坪を有する「The Artcomplex Center of Tokyo」の地下1階スペースにて、個展「生処に帰す」を開催、100点を越える新旧作を一挙に展示し、大きな反響を呼びました。大槻は、SNS(ソーシャルネットワークサービス)を通じて発信される社会性を帯びたメッセージや作品が幅広い年齢層から共感を呼んでいるのも特徴で、特に10代から20代の若い世代から絶大なる支持を集めており、次世代を牽引する存在として更なる期待が高まります。また、イラストレーターとしても活躍の場を広げ続けており、「今」を象徴するイラストレーター150名が集結した「ILLUSTRATION 2014」 での紹介や、著名人の書籍の装丁画、ミュージシャンのCDジャケットの描き下ろし、著名作家が参加する肖像画作成サービスの一人となるなど、その人気ぶりは今や飛ぶ鳥を落とす勢いであり、美術作家、イラストレーターとして最も注目を集める作家であります。

本展は、大槻香奈実験室その1「16歳少女ポートレートを描く」と題され、2009年より描き続けてきた16歳の少女をモチーフにした代表作「ポートレートシリーズ」に特化した展示となります。今まで開催してきた個展では、時代背景により感じたものを自身の中で何度も思索し、はっきりとしたコンセプトを提示した上で作品として表現してまいりましたが、本展では、作家自身の表現の可能性について自由に試す機会というコンセプトのもと「実験室」と定義付けられ、その第1弾の主題として「ポートレートシリーズ」を掘り下げた内容となります。大槻は自身のこのシリーズについて、《少女的苦しみを永遠に忘れずにいたいという思いと、そこから解放されて生きたいという思いが混在してこのような形をとっているのだと自己解釈している。》と述べており、自己投影とは違った解釈から生まれたシリーズとして提示しております。そして、《少女としての少女ではなく、少女の形をした16歳の「人間」を描く事が出来るように感じた》ときから、個人的に少女に込めて描いていた「苦しみ」から解放されたと記しており、大槻が少女をモチーフとして描いてきた今までの変遷に思いを巡らせることができる機会となるのではないでしょうか。

大槻が今までに表現やコンセプトとして提示してきた主題の数々は、ひとつのモチーフ(少女や蛹など)の中に混在する多様性・変容性を伴うものが多く見られます。それは、美術作家とイラストレーターの境界を往き来する大槻自身の根底にある、卓越したバランス感覚の良さと、物事を俯瞰的に、冷静に見据えることに長けた客観性により、対象となるモチーフの多様性に潜んだ神秘性を的確に捉える事が可能だからではないでしょうか。更に、時代性を敏感に察知する能力、時代に左右されない普遍的な仕組み・物事を訴求、表現に昇華する姿勢が合わさることで、大槻が表出する画面はその都度多様な変化を見せつつも、神秘性を携えながら強度を増し続け、現代社会に生きる我々に多くの共感と気づきを与えてくれます。実験室という名の下に、少女という表層上において試される技法的な様々なアプローチと、意味的な少女から脱却された表現において作品の本質を問い直し、人間としての可能性を見出そうとする今回の試みは如何なる実験結果をもたらすでしょうか。


本展をぜひ、ご高覧くださいますよう、何卒よろしくお願いいたします。

gallery near 延近 謙


■ PROFILE ■

大槻香奈 |OHTSUKI Kana

1984年生まれ、京都在住の美術作家。少女モチーフを通して主にアクリル画で現代を表現している。
2007年より活動をスタート。国内外問わず様々な展覧会に参加し、国内では年に約一度個展を行っている。2014年1月には約100坪を有するThe Artcomplex Center of Tokyo地下1階スペースにて、個展「生処に帰す」を成功させた。またイラストレーターとしても活躍の場を広げ、今を象徴するイラストレーター150名が集結した「ILLUSTRATION 2014」にも紹介されている。2013年には秋吉理香子「暗黒女子」や東浩紀「クリュセの魚」など書籍の装幀画、2014年にはlasahのCDアルバム「"I LOVE YOU,"」ジャケットを手がけている。


【大槻香奈実験室とは】

今回は私の様々な表現の試みの場として、通常の個展とは区別した形で「大槻香奈実験室」と題した個展番外編のようなものを開催いたします。日々制作をしていく中で、コンセプトのハッキリした個展とはまた違う、作品の表現の可能性について自由に試す場が欲しいと常々考えており、自分の今までの表現を見直す意味もあり、このような企画をスタートさせる事にしました。第一回目となる今回の主題は「16歳少女ポートレートを描く」です。少女ポートレートはシリーズとして毎年描き続けていますが、今一度それらの作品の本質を見直し、様々な表現の可能性を試してみたいと考えています。


《「16歳少女ポートレートを描く」について》

2009年よりポートレートシリーズを制作し始めて今年で5年目になる。描くのは決まって16歳の少女。これは、気付けば私が自然と描き続けてきたモチーフだ。個人的な人生を振り返ってみれば16歳が一番多感な時期で、20歳になった頃、その時の感覚を忘れないよう記録せねばという思いが生まれた。それは世の中にあるイラストや漫画、アニメキャラクターに見られるような少女像に私自身が本当の意味で感情移入する事が無かったせいかもしれない。特に芸術の世界で描かれる少女像は密室性が高く、閉じた世界観で美しく描かれる事が多かった。私はそれに憧れる気持ちや、そういった特別な世界が真実であって欲しいと思いつつもどこか釈然としない気持ちでいた。

「子供」であり「女性」でもあり同時に「母」にもなれるという、三つの全く異なる性質を同時に抱えていた16歳の少女時代。何かひとつの答えを求められる時、子供の自分、女性としての自分、母的である自分が出す答えはそれぞれ違ったものになった。ここで重要なのは、それらが社会的役割としての違いだけでなく、生物的役割として全く異なっているという点だ。それらがひとりの人間の中に混在する複雑さと不安定さは、外から見れば謎めいて美しく見える事があるのかもしれない。しかし思い返してみれば少女だったかつての自分に謎などなく、自分の中で起きている事は理屈として理解出来るものだった。ゆえに、一般的に少女という存在が単に謎めいた存在として認識されている事に漠然とした不安を抱えていた。少女という存在がキャラクターとして一人歩きしはじめた時、その本質はどんどん忘れられていくようだった。それは少女が少女である前に一人の人間だった事をも忘れられていくようであった。それは私にとってとても怖い事だった。

2007年に作家活動を始めた頃はそういった女性特有の(しかし極めて個人的な)苦しみを外に吐き出す為に少女を描いていたが、やがてそのような感覚とは全く関係のない物事や自分の知る様々な事象などを全て少女の絵に込めるようになった。そうして少女モチーフは私にとってあらゆる表現したい事の「器」となった。あるいは作品における絵の具やキャンバスと同じ「素材」になったと言えるのかもしれない。少女モチーフを扱いさえすれば、私はその時々表現したいものを形にする事が出来た。ポートレートシリーズは少女的苦しみを永遠に忘れずにいたいという思いと、そこから解放されて生きたいという思いが混在してこのような形をとっているのだと自己解釈している。

自分の認識する今の時代や世界について描く時、少女の形を借りて表現する事で絵の中の少女は本質的に少女ではなくなる気がした。そうして私はようやく少女時代に抱えていた苦しみから解放されたのだ。少女としての少女ではなく、少女の形をした16歳の「人間」を描く事が出来るように感じたからだ。

今回は「16歳少女ポートレート」というテーマで表面的な技法の部分での様々な見せ方と、少女ポートレートに様々なテーマを与えて表現の器をどれだけ広げられるのか、少女ならざるものをどれだけ表現出来るかの実験をしてみたい。それは私なりの、人間としての可能性の提示だ。